Setsuko MaroHina

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Euthanasia - 安楽死
最近読んだ本(日本語の書物)に愛犬の安楽死の事が書いてあった。 安楽死の問題は多くの書物やサイトで語られており、語りつくせない話題であろう。 国、文化、個人によってこれほど大きく、受け止め方、とらえ方が異なり、どれが正しいかなど と言う答えはないものもないだろう。(人間の場合も愛犬の場合も)

その本によると日本人は、生命を人工的に終了させることに対する嫌悪感がとても強いそうだ。 安楽死により、苦しみや痛みから解放されることが理論的に理解できていても、心情的に 受け止められないそうだ。 自然死を優先させるべきなのだと…。
私は日本で生まれ育った日本人だが、犬と暮らしたことはなかった。 アメリカに来てからなので 犬に対する考え方はアメリカ人的なのかもしれない。 こちらのVetでは安楽死に愛犬を連れてくる人が多いようだ。実際友達のVetのOfficeでも 何頭も見かけた。それも瀕死状態ではまったくなく、ドアを開けて入って来た時はその犬は自分で 歩いて、である。 ただし首に大きな腫瘍があったり目に生気がまったくなく、かなり重症の病気だろうと 言うことは傍目にもわかるほどだった。

Officeの中の小部屋の一つに入り、出てくる時は飼い主一人。ああ、安楽死だったんだ、とすぐわかる。 飼い主も目が真っ赤だ。 が、しかし、簡単な決断ではなかったはず。悩んで悩んで、今現在はひどい病気でも とにかく生きている。その愛犬を自分の決断ひとつで安楽死させていいものか? − とても悩んだそうだ。 今はそうでも、この先すぐ、耐え難い痛みと苦しみがやってくるとVetから聞かされ、その地獄のような日が 来る前に、苦しみが少しでも軽いうちに 眠るように逝った方がこの子の為、と判断したそうだ。

そのVetの冷凍庫に安置されている犬猫たちの遺体を見せてもらったこともある。 一般的にバルビツールと言う オペ時に使用する麻酔薬が使われると友達Vetは言った。 一見眠るように逝くのだが、筋肉が弛緩 するので、呼吸できなくなって苦しくても動くことが出来ないだけで実際は苦しんでるかもしれないとも説明してくれた。 それでも、不治の病で長期間、自然死するまで苦しみ続ける事を思えば、ほんの数分で楽になれるのだと…。

又、その本には、日本人の多くは、助からない病気が見つかったとしても痛みや苦しみに耐えてもらって ぎりぎりの状態まで生きて欲しいと願うのがごく普通の心情ではないかと書いてあった。 私はそうは思わない。 自分に置き換えて考えた時に、私はそんなに痛みや苦しみに強いとは思わないので 毎日地獄のような辛さに耐えるだけ、薬で眠っている間だけ痛み、苦しみから解放され、目が覚めたとたんにまた 恐ろしい苦しみが…などという状況になったら、即、安楽死を願うだろう。 自分の体の一部でも使える所は闘病生活している人たちの役に立てたいので、私の ドライバーズライセンス(運転免許証)の裏には、 <事故で亡くなった場合、内臓等、Donation(寄付)いたします>と言う欄にチェックマークがついている。

私の愛犬達にもしそういった事態が訪れたとしたら、言葉では言い表せないほど悩むだろうが、 最終的には、安楽死を選ぶと思う。 犬の楽しみの一つである食事やおやつ、自然の中での運動もなにも出来なくなった状態、プラス 痛みと苦しみ だけの毎日を過ごさせるのは本当にしのびない。犬の尊厳もなにもあったものではない。 残念なことに犬はしゃべれないから、どうしたいのか聞くことも出来ないが、飼い主である以上、私は Vetに連れて行き、病気を治してもらうこと、苦痛を和らげる、取り除いてもらうことを最大限に行ってもらうが それから先、どんなにVetが努力してもどうにもならないステージに来ていればどうするか、決定するのも 飼い主としての責任だと思うのだ。
ひどい痛みと苦しみを長引かせたあげくの自然死、私はけしていいとは思わない。 その状態で ずっと生きながらえさせることの方がある意味、虐待のような気がしてならないのである。

★上記に記した内容はあくまで私個人の考えであり、正しい OR 間違っているといったコンセプトではないので 読んでくださっただけでありがたいです。


  
| Setsuko | 11:05 | comments (0) | trackback (0) | K9 Health 健康関連 |
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